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医療経営者リレーインタビュー事例紹介

医療経営者リレーインタビュー Vol.4 医療法人白龍会 理事長 上田雅和 様医療経営者リレーインタビュー医療経営者リレーインタビュー

ご相談内容

医療経営者リレーインタビュー Vol.4  医療法人白龍会 理事長 上田雅和 様

解決方法

マネジメントパートナー・エンの柴田です。

医療経営者インタビュー第4回目の医療経営者は、医療法人白龍会 理事長 上田先生です。

 

前回の医療法人社団日新会の理事長赤座先生よりご紹介をいただきました。

今回は、上田先生のご多用の中、弊社インタビューに快諾いただき、お時間を頂戴しました。

 

医療法人白龍会理事長上田先生とマネジメントパートナー・エンの柴田

医療法人白龍会理事長上田先生とマネジメントパートナー・エンの柴田秀樹

 

医師になろうとしたキッカケは何ですか?

 

中学1年生の時、将来どんな仕事に就きたいかを紙に書いて提出しなさいと言う課題が出されました。

当時の私は建築物に興味があったので1級建築士を夢見ていたのですが、

同時に「社会のためになる」「人々の健康に携わる」「命を守る」といった意味で医師という仕事もいいなと思い、

その時は「1級建築士か医師」と書いて提出しました。

それから近所に住む方の話やテレビの影響もあってか医師としての道を意識するようになり、

高校生のころには「目の前にある命を救いたい」と決意が固まっていたので医学部へと進学しました。

歯科医として働く父親の姿が身近にあり、兄も父親の跡を継ぐために進学した影響も多少あったのかもしれませんが、

家族から医者の道を薦められたことはなく、自由になりたいものを選び進路を選択できたと思います。

今の診療所を創設された理由は何ですか?

 

私が大事に思っている言葉に「富貴にして故郷に帰らざるは繍を衣て夜行くが如し」(『史記』項羽本紀)というものがあります。

「いくら出世しても偉業を成し遂げても、故郷の人々にその姿を見せないと言うのは、

立派な服を着て人目のない夜中歩くようなものだ」という意味で、

この言葉を知った時に「あぁ、自分も立派な医者になったら故郷で地元のためになる仕事をしよう」と思いました。

その後、平成7年に中津川に戻ってきて、高齢者の在宅診療を中心に地域に根差してきました。

その中で医師として「自分で診た患者さんは最後まで見届けたい」という気持ちが強くあり、

同時に在宅では入浴やおむつの交換、食事の介助等でご家族の方が四苦八苦している現状を見てきた経験から、

こういった施設が必要になると思い平成17年に特別養護老人ホーム「ふくろうの杜」を開設しました。

創設されてから、一番困難だったことは何ですか?

 

開業時はそこまで困難に感じたことはなかったように思います。

土地や建物といった点だけでなく地域にも需要が多く、順調だったと言えるのではないでしょうか。

大変だったのは、「ふくろうの杜」を開設するときです。

行政から許可をいただいた当時(平成15年)は国が特養待機者0を掲げていたのですが

翌年には財政再建のためにと補助金が減額され、当初の資金計画と大幅に差が出てしまい、

その差分を自分たちで工面しなければいけなくなった時が資金面で一番苦労しました。

また、新しい施設を建てるとなると近隣の方から反対の声が多く上がり、

説明会も1回では地元の方から理解を得られず2回行いました。

反対意見には景観を気にする声や地域へのメリットを疑う声、より辛辣な意見を投げかけられることもありました。

その時、どうやってそれを乗り越えて来られましたか?

 

資金面については地域の有志の方に相談したところ、支えてくれる方が大勢寄付をしてくださって、状況を打開することができました。

建設反対の意見に関しては、患者さんの中にも賛成派・反対派の方が混在していたのですが、

医師としての活動を続けていくうちに徐々に理解を得られ、今では多くの方から感謝の言葉をいただけるまでになりました。

こうして地元に受け入れられていくのは医師という仕事だからこそかもしれません。

その困難を振返り、医院経営において一番大切なものは何ですか?

 

いい仕事をする。いい仕事と言うのはお金が儲かる仕事ではありません。

医師ならば患者さんと真摯に向き合う、コミュニケーションを大切にする、患者さんやそのご家族の期待に応える。

こういった姿勢が信頼につながり、信頼が理解に繋がり、地元から愛されることで報酬は自然とあとからついてくるものです。

今の仕事をしていてよかったと思うときはどんな時ですか?

 

患者さんとのふれあいです。感謝の言葉をいただけたり、雑談を通じて患者さんの人生を知る、

あるいは人柄に触れることができたときにやりがいを感じます。

5年後、10年後の医院経営のビジョンは何ですか?どのようになっていたいですか?

 

今後は人手不足により、新規事業だけでなく既存の事業を守ることも困難になっていくと思います。

高度なIT化、自動化が進んでも介護・医療の現場には必ず人の手が必要になるので無理に高い目標を立てる気にはなれないのが実情です。

外国人のスタッフを受け入れる、自動化が進む製造業などの事業からの人の流れを期待する。

とにかく今の事業を継続していくことを最優先に考えています。

人手や資金に余裕があれば、子供向けの施設を新たに開設したいとか夢見ています。

 その課題を解決するために必要なことは何ですか?

 

地域で将来、医療や介護の現場に就いてくれる若い世代を育てることだと思います。

今後、ここ中津川にはリニアが開通し駅ができることで名古屋などの都市に働きに行く方が増え、人口も増加するかもしれませんが、

それだけでは地元の事業の人手不足は解決しません。

 課題解決のために、すでに何か取り組みはされていますか?

 

毎年夏休みの時期に小学生を対象に、

「ふくろうの杜」にて研修とまではいきませんが職業体験をしていただいて、

少しでも医療や介護に興味を持っていただけるような取り組みを続けています。

後継者は決まっていますか?

 

息子が2人居て、どちらも医療の道へ進んでいますが、地元に戻ってくるかどうかはわかりませんね。

息子たちがわたしの事業をどう評価するかも関わってくると思います。

 

先生のおすすめの本、または愛読している雑誌は何ですか?

 

人間学を学ぶ月刊誌「致知」

古典、論語、人生の糧となるような言葉がぎっしり詰まっているので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

 

先生の座右の銘は何ですか?

 

流れに従うも志を変えず

(困難を前に立ち往生したら、流れに身を委ねよ。ただし、志は忘れるなと言う意味)

※大徳寺の高僧、立花大亀師の言葉

変幻自在の世の中でも目的を達成するために臨機応変に立ち回っていきたいです。

 

編集後記

 

私は今回のインタビューで一番驚いたことは、特養建設において地域の一部から反対の声があったことです。

反対派と向き合い地域未来のためを伝え施設の完成に至ったことは、改めて大変なご苦労をされたのだろうと感じました。

「今でこそ、特養も地域住民から感謝されている」と上田先生は話されましたが、

その源は「自分で診た患者さんは最後まで見届けたい」という使命感であり、

その使命感が今の地域住民からの厚い信頼を得ていることなのだと感じました。

8月の一番熱い日でしたが、インタビューを受けていただき、本当にありがとうございました。

 

【インタビュー日時】 2020年8月13日(木曜日) 特別養護老人ホームふくろう杜にて

 

法人名称 : 医療法人白龍会 上田医院

所在地  : 岐阜県中津川市苗木7424

電話 : 0573-66-7222

 

運営施設 : 上田医院

 

医療法人白龍会上田医院

医療法人白龍会上田医院

 

関連施設 : 社会福祉法人和敬会倶楽部

社会福祉法人和敬会倶楽部特別養護老人ホーム「ふくろうの杜」

社会福祉法人和敬会倶楽部特別養護老人ホーム「ふくろうの杜」

特別養護老人ホーム「ふくろうの杜」

短期入所生活介護

デイサービスセンター

デイサービス北館

居宅介護支援事業所

キッズルームふくろうのもり

学習療法

医療経営者リレーインタビュー Vol.3 医療法人社団日新会 理事長 赤座 薫 様医療経営者リレーインタビュー医療経営者リレーインタビュー

ご相談内容

医療経営者リレーインタビュー Vol.3  医療法人社団日新会  理事長 赤座 薫 様

解決方法

マネジメントパートナー・エンの柴田です。

医療経営者インタビュー第3回目の医療経営者は、医療法人社団日新会 城山病院理事長の赤座先生です。

前回の医療法人社団啓仁会の院長安藤広幸先生よりご紹介を頂きました。

 

医療法人社団日新会赤座薫先生とマネジメントパートナー・エン代表柴田秀樹

医療法人社団日新会赤座薫先生とマネジメントパートナー・エン代表柴田秀樹

 

今回は、赤座先生のご多用の中、弊社インタビューに快諾いただき、お時間を頂戴しました。

インタビューは、応接室でお茶と一緒に出された菓匠満天星一休の和菓子の話題から始まりました。

赤座先生が一休でおすすめの和菓子は「森の水鏡」です。栗きんとんが葛で包まれ、いつ食べても栗きんとんのしっとりさが味わえると教えていただきました。

医師になろうとしたキッカケは何ですか?

 

小学校3年生の頃、夏休みに海へ家族旅行をする予定をしていて、

今から旅行に出かけようとしている時に、医師である父親へ急患の連絡が入り、急遽、旅行はキャンセルになってしまい、とても悲しい思いをしました。

でも父親が急いで病院へ行く姿を見て、「医者という仕事は周りの人からとても必要とされている仕事なんだ!」と子供心に強く感じました。

それがキッカケです。

 

今の病院を引き継いだ理由は何ですか?

 

医局が名古屋大学第二外科で外科医として先進医療に取り組んでいました。

腹腔鏡手術の黎明期には、岐阜県内や愛知県内の公立病院で腕を磨きました。

同じ医局の父親が、1981年から城山病院の院長となり、地域医療に頑張っていました。

教授から「そろそろ父親を手伝ったらどうか」と城山病院への異動を要請されました。

その頃の城山病院は80床へと増床したのを期に療養病棟へ転換していたので、急性期病院から慢性期病院への異動はあまり乗る気ではありませんでしたが、2003年に赴任することになりました。

 

引き継いでから、一番困難だったことは何ですか?

その時、どうやってそれを乗り越えて来られましたか?

 

二つあります。

一つは、ベッド管理がうまくいっていなかったことです。

それを改善するために入退院の予約管理を徹底したり、介護者休養目的短期入院を積極的に行ったりと、既存のハードの中での細かいマネジメントの工夫が経営安定につながり、その結果利用率も上昇し、今は90%台後半を維持しています。

その時に病床管理のためにケアマネジャーや社会福祉士との連携の重要性も学び、後に立ち上げた回復期リハビリテーション病棟の運営の際にも大きく役立ちました。

 

二つ目は患者さんに在宅復帰をしてもらうため後方支援病院としての役割が地域に必要だと考え、2007年に岐阜県東濃東部地域で初めて回復期リハビリテーション病棟を立ち上げました。

外科医の自分が回復期リハビリテーションを行うことに不安がありましたが、岐阜県多治見市で回復期リハビリテーションを行っているサニーサイドホスピタルで院長をしていた同期の医師に会い、彼から「外科医だからこそ、全身を診ることができるし、リスクジャッジもできる」という言葉をもらったことで、回復期リハビリテーション病棟の実現につながりました。

 

その困難を振返り、医院経営において一番大切なものは何ですか?

 

大切にしているのは「笑顔」です。

そして職場に愛情がある雰囲気にしていくことです。

スタッフに対しては、自らに余裕がないと患者様に満足してもらう医療サービスを提供できません。その余裕とは、賃金、職場環境など当院で働いてもらうことに満足してもらうことです。

その結果として今年も永年勤続表彰を受ける職員が増加していることは嬉しい限りです。

また中津川市は高齢化率が30%を優に超えています。

独居高齢者の患者さんや老々介護が多いため、その患者さんを必ず笑わせてから帰宅してもらうことがポリシーです。

診察時に患者さんへ冗談を言ったとき、笑顔になれるかをいつも注意していています。

笑顔がなければ病気や家族のことで心配ごとがあるかもしれないと診察をしています。

多くのメディアは、医療や介護の現場は3Kだと伝えますが、決してそうではありません。大切なのは愛情をもって人と接することです。

愛情を持って接するには自分自身に余裕が必要で、それが笑顔につながります。

 

もう一つ大切にしていることは、「同じ方向を向いている人が職場に集まること」です。

そして患者さんにとって良かれということを成すだけです。

医療や介護に携わる人は、自己の生活基盤がしっかりしていることが大切で、自分自身や自分の生活を不満に思っている人は良いサービスを提供できません。

 

赤座先生の人生を変えた1枚の写真について

 

平成13年のお正月に70代の患者さんから1枚の写真をもらいました。

それは透き通った青空を背景にした富士山の写真です。

その患者さんはその前年に大きな手術をして年末に退院され、その後2か月もしない間にご自身で出掛けられ撮影してきたものだそうです。

私はそれを見たとき、趣味を持っているということは、これだけ人を動かす力があるのかと感動しました。

それを契機に患者さんに趣味があるか否かを観察していくと、趣味のある人は常に若く元気で、趣味のない人はどんどん衰えていくことが分かりました。

私もいつかリタイアするときのために、趣味にも真剣に取り組もうと思いました。

学生時代にビッグバンドに所属していた経験を活かし、再びギターを弾いています。

 

5年後、10年後の医院経営のビジョンは何ですか?どのようになっていたいですか?

 

将来については、地域医療と介護について考えていく必要があります。

ここ数年中津川市の年間死亡者数は1000人程度と横ばいで、医療ニーズはピークアウトしかかっています。

10年後、15年後は、地域住民が高齢化し介護ニーズが増えていくと予想され、2040年には要介護者が今より15%くらい増えると思います。

そう考えるとこの地域の高齢化社会の医療と介護を混乱なくソフトランディングすることが目的で、当院だけのことを考えるのではなく地域と連携しながら、それに対して当院ができることをやっていくことです。

具体的にはまだまだ地域包括ケアシステムが構築されていないので、これをきちんと機能するように整備していくことです。

そして地域住民が安心して医療や介護の提供を受け、人生の最後を迎えられるようにすることです。

 

先生のおすすめの本、または愛読している雑誌は何ですか?

 

宇沢弘文著の「社会的共通資本」 (岩波新書696)

 

先生の座右の銘は何ですか?

 

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛む」

儒学者 佐藤一斎著の言志四録より

 

編集後記

 

私にとって赤座先生とのインタビューで一番印象に残っているのは、「医療のなかでも外科はジャズの世界と近いものを感じる」と話されたことです。

私が「どうしてですか」と尋ねると、「ジャズは初めて会ったミュージシャン同士で素晴らしい音楽を奏でることができる。手術も初めて会った医師同士が、そのルールの中で素晴らしい手術を行うことが可能である。セッションと同じです」と話されました。

すべては決して一人でできるものではなく、周りの協力があって出来上がっていくものだということを改めて、私は感じました。

その原動力は、「笑顔」

その笑顔を引き出すのは、赤座先生が冗談を話される雰囲気でした。

インタビューの最後に赤座先生と私の写真を撮影してもらう時も、赤座先生はカメラを持った女性の事務員さんへ冗談を投げかけ、その事務員さんのニコニコした笑顔がありました。

その何気ない言葉掛けに周りの人への愛情や優しさが、この法人にはいつもあると感じました。

 

ご多用のところ、ありがとうございました。

 

【インタビュー日時】 2020年7月7日(火曜日) 理事長室にて

 

医療法人社団日新会城山病院全景

医療法人社団日新会城山病院全景

医療法人社団日新会城山病院全景2

医療法人社団日新会城山病院全景2

 

法人名称 : 医療法人社団日新会

所在地  : 岐阜県中津川市苗木3725-2

URL : http://n-shiroyama.info/

電話 : 0573-66-1334(代)

 

【運営施設】

城山病院(内科・消化器内科・整形外科・循環器内科・神経内科・呼吸器内科・外科・リウマチ科・リハビリテーション科)

 

【関連施設】

介護老人保健施設 城山

訪問看護ステーション 城山

指定居宅介護支援事業所 城山

 

 

 

医療経営者リレーインタビュー 第2回 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック 院長 安藤広幸様医療経営者リレーインタビュー医療経営者リレーインタビュー

ご相談内容

医療経営者リレーインタビュー 第2回 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック 院長 安藤広幸様

解決方法

マネジメントパートナー・エンの柴田です。

医療経営者インタビュー第2回目の医療経営者は、医療法人社団啓仁会 院長安藤広幸先生です。

前回の医療法人仁寿会グループ理事長加納先生よりご紹介いただきました。

 

今回は、肛門診療の専門医である安藤先生にご多用の中、弊社インタビューに快諾いただき、お時間を頂戴しました。

 

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医師になろうとしたキッカケは何ですか?

 

安藤先生は安藤クリニックの4代目で、初代が岩村で開業され2代目の祖父が現在の多治見市へ小児科として移転されたようです。

その祖父ご自身の痔が悪く自ら治療していた経験から、世の中には痔の悪い人がたくさんいるだろうということで現在の肛門診療の専門医として始められ、3代目の父親も外科医としてその流れを踏襲してこられました。

医者の一家に生まれ、毎日患者さんを診療する祖父や父の姿を見て育ったこと、そして安藤先生の幼少期の頃より母親から「あなたは祖父や父のように医者になるのよ」と躾けられ、その帝王学が準備されていたこともあり、安藤先生も医者になることに何ら抵抗もなく名古屋大学医学部へ進学されました。

その後外科医として、岐阜県立多治見病院6年間、名古屋大学医局部3年間、名鉄病院2年半の後、安藤クリニックに戻られました。

 

今の病院を引き継いだ理由は何ですか?

 

安藤先生37歳で名鉄病院の勤務医のとき、先生ご自身の甲状腺異常の入院も重なり、

今後の将来を少し見つめ直そうと思っていた矢先、父親から戻ってこないかと声を掛けられたそうです。

父親も祖父から受け継いだのが35歳の頃であり、祖父はその当時65歳。

今の自分も当時の父親と同じ年代でもあり、父親も若くして事業を引き継ぎ、少し疲れているかもしれない。

今が良い機会だと思い、父親を早く助けようと実家へ戻ることを決意されました。

 

引き継いでから、一番困難だったことは何ですか?

 

安藤先生が一番苦労されたのは、二つ。

一つは、当時の院内運営でカルテの記入仕方に大病院とクリニックで大きな違いがあり、とても苦労されました。

また父親は安藤先生が当院へ戻られた初日にあらためて職員へ紹介することなく、そのまますぐ診療することになり、次世代への引継ぎは何も準備がされていなかったそうです。

そのため職員は、当初の間どちらの指示に従ったらよいかわからず様々な戸惑いがあり、二人の間にもギクシャクとした時間が数年続いたそうです。

二つ目は、父親の診療や手術は旧態依然とした方法であることに悩みがありました。

安藤先生の想いは、最先端の治療を導入することで患者さんへの身体的な負担が少なく早く健康になってもらうことです。

 

その時、どうやってそれを乗り越えて来られましたか?

 

安藤先生が、まず院内改革として最新のカルテ方式を導入されました。

当時のカルテは、父親が一人で多くの患者を診察し手術をこなす毎日だったためカルテに医師記録がまるでなく、それは会計の明細のようなものだったそうです。

安藤先生は、患者さんへより良い診察を提供するためにカルテに詳細な経過観察を記録する必要があると考え、当時の県病院からカルテ書式を取り寄せて改革を進められました。

医療現場で父親は何か細かいことを言うタイプではなく物静かな人だったので、安藤先生のやり方を認めてくれていたとのことです。

周りの職員も二人のそれぞれのやり方にうまく合わせてくれていため、少しずつ安藤先生の新しいやり方がスムーズに導入されていったとのことです。

 

そして安藤先生は、肛門外科の最先端の治療を提供する新しい取り組みをスタートさせました。

当時、東京新宿の社会保険中央総合病院といえば肛門外科のメッカともいわれる存在で、そこには国内の肛門外科医の権威として副院長の岩垂先生がいらっしゃいました。

安藤先生は、先輩医師を通じて岩垂先生の下で最新の肛門外科診療を学ぶことになります。

毎週火曜日、始発電車に乗り、朝9時から岩垂先生の手術に付き、多いときは1日15人くらいの手術を見学し、その日の夜遅く多治見へ戻る。

そして次の日には、通常診療をこなし、昨日学んだ岩垂先生流の手術を試してみるということを半年間続けられたそうです。

この取り組みで、痔の再発した患者さんから「あんな痛い手術は二度とやりたくない」と言われていたことがなくなり、

再診される患者さんも増え、安心、安全で痛くない医療を提供できるようになったとのことです。

 

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その困難を振返り、医院経営において一番大切なものは何ですか?

 

安藤先生が大切にしているのは、患者さんを診察し適切な治療を施し、経過観察をしっかりやっていくこと、

痔だけでなくほかの内科治療もすることで患者さん一人ひとりに寄り添いトータル的な診療を提供していくことです。

今、先端医療を提供するがんセンター等は、その治療や手術だけに特化しているため、

それが終われば、かかりつけ医へ戻されてしまい、患者さんの経過すべてを見ているわけではない。

だから地域の医療人として患者さんに寄り添っていく必要があるとのことです。

 

以前、他の大きな病院でお尻の痛みと発熱で診てもらっていた患者さんが、MR、CT、血液検査等あらゆる検査をやって処方してもらったがまったく治らない。

その患者さんは痛みに耐えきれず、安藤先生に診てもらうと「痔ろう」と判明。

切開排膿術をするとたちまち楽になり「こんなことなら早く安藤先生のところへ来ればよかった」と言われたそうです。

安藤先生は、医療経営者として収益を考えれば、今の時代は検査を多用することが良いかもしれないが、すべてがそうではない。

医療には深い知識と多数の経験が必要であること。

そして痛みに苦しむ患者さんを助け、自分の思い描いたきれいな手術ができ、彼らが気持ち良く排便でき余分な腫れが残らないときが一番嬉しいと話されました。

 

先生のおすすめの本、または愛読している雑誌は何ですか?

 

安藤先生の愛読書は、「ヘッセの言葉」

1877年生まれ、「車輪の下」等の作品で有名なドイツ作家ヘルマン・ヘッセの名言集だそうです。

仕事で疲れた時に手にとって読み始めると癒される言葉の数々があるそうです。

以前に買ったものは何度も読み直しボロボロになったので、

最近、新しいものを買い直されたほどの愛読書だそうです。

 

先生の座右の銘は何ですか?

 

佐藤一斎の言志四録第61条

「一芸の士は、皆語る可し」

 

訳文

何の道でも名人は、皆共にその道を語ることができる。

ということは、一芸に達した人たちは、皆、話が通じ合うというものだというのである。

(出典:講談社学術文庫 言志四録(1)より)

 

安藤先生は外科医として自分の持つ技術で患者さんへ最高の治療を提供していく。

自分の手術が思うようにでき治療経過も順調に回復したとき、

それは一つのアートのようなものだと話されました。

 

【編集後記】

コロナ感染拡大で窓を開けながらのインタビューでした。

私は今回の取材で一番凄いと感じたのは、痔の専門医として極めるために

半年間、始発の電車に乗り日本の名医の下へ自ら学びに行かれたことです。

この行動は、患者さんのために尽くすという信念がないと絶対にできないものです。

頭を下げて師から学ぶ、本当に凄いと思いました。

私も40代を過ぎて製造業の経営者から全く違う業界へ飛び込み、

その後労働基準監督署で自分よりも若い監督官たちから労働トラブルへの対応の仕方を教えてもらったことは、私の今の仕事に大きく役立っています。

安藤先生もおっしゃっていましたが、そういう経験というのは、その後の人生や仕事に良い影響を与えてくれているということです。

最後に私は、安藤先生は患者さんの痛みと不安を取り除き、診察や手術でより健康な状態へ創造していく医療のアーティストだと思いました。

長時間にわたり、またコロナ感染時期にもかかわらず、笑顔で対応していただいたことに本当に感謝しています。

ありがとうございました。

 

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【インタビュー日時】

2020年4月8日(水曜日) 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック 理事長室にて

 

【今回の法人情報について】

法人名称 : 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック

所在地  : 岐阜県多治見市豊岡町3丁目65番地

URL : https://andou-clinic.com/

電話 : 0572-22-9388

 

運営施設 : 安藤クリニック

・肛門外科

・一般内科

・消化器内科

・睡眠時無呼吸症候群への対応

 

 

 

 

 

医療経営者リレーインタビュー 第1回 医療法人仁寿会グループ理事長 加納忠行様医療経営者リレーインタビュー医療経営者リレーインタビュー

ご相談内容

医療経営者リレーインタビュー 第1回

医療法人仁寿会グループ理事長 加納忠行様

解決方法

マネジメントパートナー・エンの柴田です。

医療経営者インタビュー第1回目の医療経営者は、医療法人仁寿会グループ 理事長 加納忠行様です。

弊社の顧問先でもあります。

 

今回は、加納先生のご多用の中、弊社インタビューに快諾いただき、お時間を頂戴しました。

 

右 理事長加納先生 左 柴田

 

医師になろうとしたキッカケは何ですか?

 

岐阜市出身の加納先生は、中学時代の学業成績が良く、ある同級生の両親からその同級生へ勉強を教えてほしてと依頼があり、彼の家へ通うことになったそうです。

そこは村上外科病院を経営する外科医であり、同級生の父親がいて、彼は日中多くの患者を診療し、夜は自室にて遅くまで仕事をする姿があったようです。

加納先生は、そのひたむきな姿を見て感動し、「将来、自分も医者になりたい、そして外科医なる」と決意されたとのことです。

しかし、加納先生は、父親は戦死し母親一人で育てられていたため大学へ行く資金がなく、中学卒業後は工業高校へ進学し、一日も早く母親を助けようと思っていました。

その時、その同級生の父親が加納先生へ「君はとても優秀だから岐阜高校へ行き、大学へ行ってもっと勉強しなさい」と背中を押し、

そのためにロータリークラブの奨学金の活用を進めてくれました。

加納先生は、その応援を受け名古屋大学へ進学されました。

 

ちなみに村上外科病院は、現在の朝日大学病院の前進です。

 

加納先生は名古屋大学医学部卒業後、地方の勤務医を経て愛知県がんセンターへ勤務されました。

そこで一生涯の師であり、臓器移植(腎臓移植)の権威高木先生と出会い、

彼から臓器移植を学ぶためにアメリカ留学を勧められ、渡米されました。

米国コロラド州立大学医学部で臓器移植の世界的な権威である外科医スターツル先生と岩槻先生と出会い、加納先生にとって忘れられない二人の恩師になります。

彼らから3年間で腎臓移植に関する厳しい指導や考え方を受け、日々、手術、当直、飛行機で米国内を臓器移植のために移動と緊張の連続だったそうです。

同時に世界中から集まる医療従事者と一緒に働く経験もされたそうです。

その時のグローバルな経験が、今、多治見というローカルな場所にいても最新のニュースから世界の動向がわかり、自信を持って医療に臨めると話されました。

 

帰国後、名古屋大学医学部にて高木先生の下、更に腎臓移植に臨床経験を重ね、また大学講師として若き医師たちへの教育にも従事されました。

 

今の病院を引き継いだ理由は何ですか?

 

加納先生が46歳(1991年)10月に、当時多治見市の西尾病院を経営されていた大学の後輩から当病院を立て直しをしてほしいとの要請を受けました。

当時、その病院は、国道筋から奥に入った場所にあって目立たなく、建物も古く薄暗い。

80床あるにもかかわらず、入院患者は年寄ばかりで20人しかいない。

世間からは幽霊病院だと言われ、いつ潰れてもおかしくない状況だったそうです。

加納先生は、それを見た瞬間、「よし!自分が立て直す!やってやる!」と直感的に感じたそうです。

加納先生は、「どうせやるなら裸一貫でやる」と以前から決めていたこと、そしてその数年前から開業することを計画していたことが重なり、今回の件を承諾されました。

 

そして医者の将来には3つの選択肢しかないこと。

一つは、大学教授になること

二つめは、大病院の院長になること

三つめは、開業医になること

 

今、46歳が、この岐路になる。

 

再建を引き受ける条件として、医局から派遣され雇われ院長ではなく、

理事長として病院経営をすることで、病院立て直しに取り組まれました。

 

引き継いでから、一番困難だったことは何ですか?

 

加納先生は、今まで医療経営でとても苦労したとか、困難があったとは思っていないとのことでした。

その理由は、事業を引き継いだ時、長期と短期の事業計画が明確にあったからとのこと。

長期計画は、自分が70歳で引退するまでの24年間。

短期計画は、3年ごとに8計画。

それを実行するために日々ワクワクしながら、昼夜を問わず職務に専念したことが、今につながっているとのことです。

 

各3年計画では、何らかの建物を建てると決意され、最初に腎臓透析センターを設置。

その次に介護老人保健施設アルマ・マータ開設、

老人介護施設 アルマ・マータ

リハビリテーション病院サニーサイド開設、

回復期リハビリテーション サニーサイドホスピタル

特別養護老人ホームエバーグリーン開設、

新病院の開設移転、そして現在へ続きます。

タジミ第一病院

 

加納先生は、医療経営の持続には、必ず3つの柱が必要であり、

3年計画ごとに将来を見据え3つの柱を見直すこと、

更に地域ニーズを取り入れることも重要とのことです。

 

多治見市の中小の病院やクリニックへは老人しか来ない。

その人達の退院後、彼らには行き場がない。それを解消しなければならない。

将来の医療制度と医師不足を鑑み、当時の救急医療対応は止め、

自分の得意分野(腎臓透析等)へ経営資源を集中すると決意されます。

 

今の3つの柱は、

 

1 リハビリテーション(在宅復帰へ)

2 腎臓透析

3 老人への対応(医療と介護の連携)

 

 

医院経営において一番大切なものは何ですか?

 

1 長期経営計画と短期経営計画を立て、実行すること

2 医療経営に地域ニーズを反映すること

3 自分の得意分野で勝負すること

4 良い人材と出会うこと

 

加納先生は、

「私がこれまでやってこられたのも、とても良い人材に恵まれてきたからです。医師、看護師、事務長、その他のスタッフも。本当にありがたい、運が良かった」と話されました。

 

なぜ、良い人材が集まってきたと思いますか?

 

加納先生は、

組織のトップは、まず職員の前で一番やる気があること、前向きな姿勢を常に見せること。そして目立つこと!

具体的には、朝一番に誰よりも早く病院へ入る。そして毎日回診すること。

理事長が朝一番に来ていることが職員にわかるよう自分の車を目立つところに駐車する。

 

この姿勢は、留学時代のスターツル先生がやっていたことを、今の自分もやっているだけとのことです。

 

そして、医師や職員に「愛情を持って接しなければ、人はついてこない」と強調されました。

 

加納先生にとって、愛情とは具体的にどんなことでしょうか?

 

人間が好きであること。

どんな人にも良いところがあり、それを見つけ、

その良いところを活かす仕事を任せていくこと。

 

 

先生のおすすめの本、または愛読している雑誌は何ですか?

 

最近、お気に入りの本は、

斉藤茂太著 「いい言葉は、いい人生をつくる」

 

加納先生は、

辛い場面に当たったとしても、それをピンチと思うかチャンスと思かは自分次第。

私はどんなときも起きたことをチャンスと捉え、前向きにやってきたと話されました。

 

 

先生の座右の銘は何ですか?

 

Go with love try to do by yourself !

 

愛情を持って自分でやれ! (加納先生作)

 

 

 

【編集後記】

 

私は、今回のインタビューを通して医療経営はトップ次第で激変するものだと改めて痛感しました。

加納先生が引き継がれた時は幽霊病院だったのが、今や岐阜県東濃地区ではなくてはならない存在になっています。

加納先生の言葉に、手術を成功させるためには事前に起き得るリスクや所要時間等の綿密な計画を立てシミュレーションを繰り返し、それに基づき執刀する。

それは医療経営も同じ。だから長期計画と短期計画を立ててやってきたと話された時、私自身とても納得させられました。

そして加納先生の医療経営は、良き恩師との出会いに導かれ、そして自分の得意なことをやってこられた証であり、

また「人の良いところを見つけ、その人の良いところを活かす仕事を任せていくこと」が、今日グループ全体で約500人まで発展してきた最大の理由だろうと思います。

私は、私の父親も毎朝一番に会社へ行き工場内を見回り、出勤する社員を笑顔で迎えていた姿を思い出し、同時に経営トップの姿はいつの時代も変わらないと感じました。

 

私のつたないインタビューに応えていただき、加納先生には感謝申し上げます。

貴重な時間を頂戴し、ありがとうございました。

最後に、医療経営者に限らず、多くの経営者に今回のインタビューが、少しでも日々の経営にお役立てできれば幸いです。

 

【インタビュー日時】 2020年3月6日(金曜日) 医療法人仁寿会グループ 理事長室にて

 

【今回の法人情報について】

法人名称 : 医療法人仁寿会グループ

所在地  : 岐阜県多治見市小名田町西ヶ洞1-648

URL : http://www.i-jinjukai.or.jp

電話 : 0572-22-5131

 

運営施設 : タジミ第一病院(50床)

リハビリテーション病院サニーサイドホスピタル(50床)

介護老人保健施設アルマ・マータ(100床)

老人訪問看護ステーション「コスモス」

居宅介護支援事業所「アクシス」

精華地域包括支援センター

 

 

関連施設 : 社会福祉法人 薫風会 特別養護老人ホームエバーグリーン(100床)

小規模特別養護老人ホームエバーグリーン(29床)

託児所ひまわり(20人)

 

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